最強、最速の称号!
2015年7月に行われた鈴鹿8耐で、ヤマハが19年ぶりに優勝するという快挙を成し遂げました。
1984年に初めて参戦して以来、通算5回目の優勝を獲得したことになります。
最強、最速であることを証明したことで、次回の鈴鹿8耐での活躍が期待されています。
ヤマハと鈴鹿8耐の歴史
鈴鹿8耐が初めて開催されたのは1978年のことでした。
当時は一般の市販車両とレーサーが一緒に走行しており、国際ライセンスを取得していなくても出場できたという現在とは異なるレース展開でした。
その後、世界耐久選手権の一つとして組み込まれるようになったことで、世界で活躍しているトップライダーが参戦するようになって世界的にも注目されるレースに成長を遂げました。
各バイクメーカーがチームを結成し、勝利を収めるために様々な努力を続けてきましたが、ヤマハも例外ではありませんでした。
ヤマハがファクトリー活動を始めたのは1984年のことで、1987年には初優勝をしています。
その後1988年、1990年、1996年にもそれぞれ優勝を勝ち取っていますが、1996年以降は優勝から遠ざかっていました。
そして2015年には2002年から数えて実に13年ぶりにヤマハファクトリーレーシングチームが復活して参戦することになりました。
ライダーとして参加したのは中須賀克行、ポル・エスパルガロ、ブラッドリー・スミスです。
ポル・エスパルガロとブラッドリー・スミスは現役のMotoGPでも活躍しているライダーで、中須賀克行は全日本トップクラスのチャンピオンという実力の持ち主です。
監督は鈴鹿8耐への参加経験がある吉川和多留さんで、勝利に大きく関わることになるマシンがYZF-R1でした。
最強のライダーと頼もしい監督、レースに相応しい実力を持っているマシンが揃い、優勝に向かって尽力するエンジニアなどあらゆる人達が一体となって鈴鹿8耐への挑戦が始まったのです。
決勝レースではスタートライダーの中須賀選手が一時順位を大きく落とすというアクシデントもありましたが、徐々に順位を上げて2番手のスミス選手へ託されました。
この時にライバルがコースアウトや転倒するというアクシデントに見舞われたことでトップになり、エスパルガロ選手に託されました。
セーフティーカーを追い越したことでペナルティを科せられるという事態にもなりピンチだと思われましたが、ライバルとのトップ争いを制して見事優勝することができたのです。
ファクトリー体制が整ったのは13年ぶりだったので、関係者にとって優勝できたことは本当に嬉しい出来事になったはずです。
ヤマハの実力は確かなものだったと国内外に示す良い機会にもなったことで、今後の活躍が期待されています。
これからも鈴鹿8耐へ積極的に参戦し、また良い結果を出してもらいたいものです。